たまたまSPACE SHOWER TVで見かけたBUMP OF CHICKENの新曲『supernova』のPV。
モノクロの映像の中、街を歩く藤原(Vo&G)。
カメラはそれを正面から捉え、ゆっくり坂道を上っていく。
ずっと同じアングルのまま、いつの間にか集まってきたメンバーとともに向かう先には、
路上に用意されたバンドセット。
曲の盛り上がりと同時におもむろに歌い始めるが、カメラを引いてみると、
そこには何百人というファンが彼らを待っていた
何も飾らない映像が、曲の雰囲気と良く合っていて、惹きこまれた。
Directorは番場秀一。
林檎のショートムービー『百色眼鏡』の監督で、当時私が崇拝していたラーメンズの小林賢太郎を役者として起用したことで知ってはいたが、昔からずっとBUMPを撮っているらしい。(あと最近はレミオロメンも)
RIPのUNDER THE SUNのPVみたいなのも好きなんだけど(これ観たとき衝撃を受けました。小島淳二氏は天才かもしれない)、なんだかこう普通の風景っぽいんだけどそれをキレイにに見せられると、それだけでジワッ?ときたりして。もしや、、年なのか。
で、映像で目を止めた私はそのまま曲を聴く。
普段、私は音楽を"音""リズム"として聴いているため、歌詞はほとんど頭に入ってこない。
失恋の歌だとかなんだとか、人に言われて初めて、曲の中のコトバを意識するようになる有様。
そんな人間が歌詞解説するのも何なのですが、少しだけ。
人と話したりすると 気付くんだ
伝えたい言葉が ないってこと
適当に合わせたりすると わかるんだ
伝えたい気持ちだらけ ってこと
君の存在だって こうして伝え続けるけど
本当のありがとうは ありがとうじゃ足りないんだ
曲だけ聴いているときには、"伝えたい言葉がない"というところを"outputしよう、深く関わろう、という意志が無い"、"適当に合わせたりする"というところを"(自分は自分、他人は他人という壁意識を持っている前提で)表面的な付き合いをする"と理解してちょっとさみしくなったのだが、正しくはそれぞれ、"正確に思いを伝えたいんだけど、そのツールとしてのコトバが見つからない"、"自らが使える範囲でのコトバを使って伝えたりする(と、結果的に思いを伝えたいという思いに気づく)"というほうが、歌詞からすると合っているのでしょう。
(上記の誤解それはそれで野ブタ。の桐谷修二的パトスにつながったりすると思っている)
本当のありがとうはありがとうじゃ足りない。
そうコトバにすると、その上に乗っかってるエモーショナルな部分が無くなってしまう気がする。
でも、伝えたい。
人は、コトバそのものではなく、そのコトバを発するに至ったヒトの想いを知る・想像することで、感動するんでしょうね。100%気持ちを伝えることが出来ないとしても、時としてそれ以上の想いを届けていることって、案外あるのかもしれない。
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