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日曜日, 8月 28, 2005

8月20日(土)から8月26日(金)まで

8月20日(土)
ここんとこ毎週末の出社。明日は大切な試合なのでカラダを休めねばと思うものの、、結局深夜まで。
8月21日(日)
10:00- ラクロスリーグ戦@葛西臨海球技場。
両チームとも削りまくりの激しい試合となりました。気合入ってました。後半の猛追、鬼DFはドラマチック。しかしながら結果は無情にも8-9で敗北。決勝トーナメント進出のためには、次の試合の得失点差が全てを握るという状況に。
8月22日(月)
精神的に昨日の敗北を若干引きずりながら出社。テンション低いのバレバレだったかも。
8月23日(火)
仕事がひと山越えました。さあ早く帰って打ちっぱなしいくぜ!と息巻いてたら18時ごろから雨と雷。残念ながら天気予報通りでした。
あと、品川駅に停めてあった自転車が撤去されてました。。
8月24日(水)
「目くじらを立てる」の目くじらとは?
『くじら』は物の隅、という意味の古語で、語源は『くち(口)+しり(尻)』(≒『物の両端』≒『物の隅』)だそうです。目くじらを立てる=目尻を吊り上げる。ちょっと昼食時に話題になったもので。
8月25日(木)
新規技術に関する打ち合わせ&ふた山目の準備。
台風上陸。やり過ごしてから帰ろうと思ってたら、甘かった。。リアルタイムレーダーで速度確認しても、一向に抜ける様子無し。一人会社に取り残されてしまいました。office出て傘広げた瞬間に裏返って使えなくなったのには笑った。
8月26日(金)
仕事の合間を見て、養老孟司氏と茂木健一郎氏の講演会をストリーミングで視聴。組織の壁や個との問題について。結構面白かったので、いくつかのキーワードを備忘として書いておきます。
・組織の中にどっぷり浸かって将来を捧げる、あるいは"我関せず"としてアウトサイダーの立場を貫く、という中間にあるのは、『塀の上を歩く』というソリューション。
・WHOのSARS調査で、発症者数を実際より多く申告したのは中国。逆に少なく申告したのはアメリカ。ともに大国で他民族国家という共通点があり、それぞれ理由は異なるが、実態をつかむには大きすぎるサイズだと思う(組織によって、それぞれの最適規模があるのでは、という考察から)。
※中国は、発症者1件を申告するごとに1元支給するような方法で集計したそうな。それで結果的に発症者の分母が増えて、致死者の割合(致死率)が"異常に低く"報告されたとか。
・自分を変えることに抵抗がある(=自分が自分でなくなるのではないかという不安を持っている)人は多いが、いくら変えようとしても変わらないものがあるはずで、それこそが自分の真理。自分にとっての真理を見つけて、それをよりどころに物事を判断していくことが大切(常識にとらわれずに)。

講演の中で、養老先生がこんなことも言われていました。
"自分が小学生の時に終戦を迎えた。終戦前後では目に見える世界が一変。今まで使ってた教科書のほとんどを墨で塗りつぶさせられたりした。そういう経験を持つ世代は、何が正しくて何が間違っているのかとか、そういう今までのジョーシキが一瞬で変わってしまうことを身をもって知っている。だから、自分の頭で考え、自分の真理をよりどころにして物事を判断する"のだそうです。
なんかヘンだな、おかしいな、と思うことがあった場合、たいていは"ジョーシキ""そういうもの"としてそこで考えるのをやめてしまうけど、そういう引っ掛ったトゲはそのまま答えが出るまで取っておく(=考えるのをやめにしない)、とも。

なんだか、表現は難しいけど、いろいろ考えさせられました。自分の中に自分の真理を見つけるということ、それは拠り所となるけどそれ一辺倒になるのではなく、同時に『塀の上を歩く』『折り合いをつける』という視点を持ちながら、自分と社会、両方と付き合っていくということ。自分にささったトゲを抜く答えがありそうな気がします。

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